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熱田高輝との出会い
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当時僕がジュニアに上がった年(1989年、現在の国内A級)その年の東北選手権第1戦は福島県のエビスサーキットで開幕だった。時期的には何時ごろだったか忘れたが青森ではまだ雪がありほとんど土の上では練習してなかった。だから僕のチームと高橋健(現SRFスポーツ東北監督)と一緒に前日からの遠征で土曜日からエビスに練習に行った。コースに入っていくとだーれもいなかった。当時は前日に練習する人はあまりいなかったと思う。だけどパドックにはポツンと宮城ナンバーのたしか白のコースターだったと思うが止まっていた。そこにはCR125が置いてありお父さんらしき人と子供が準備していた。僕らも準備をしていたらその子は走り出す。125にやっと足が届くくらいのぽっちゃりした子だった。準備をしている時にお父さんらしき人が僕らのところに来てうちのチーム監督とお互いあいさつをして雑談をしていた。やはりその子のお父さんだった。熱田さんというらしい。今走っている熱田さんの子供がその年からノービス(現在の国内B級)でデビューするらしい。熱田高輝との出会いだった!!(去年までセキレーシングモトロマンで全日本IA250クラスを走り、今年はKTMでスーパーモタードに挑戦している)まだ記憶にあるのは高輝は小さい体で大きい125に乗っかるようにしてビンビン走っていた。ノービスデビューにしては速いなと思った。エビスのコースの硬い路面をイキイキと走っていた。僕らが走りだすと高輝は後ろにくっついてきて必死にくらいついてくる!!当時国際B級の健にピッタリくらいつき離れないで走ってた。健も必死になり、練習が終わってくると「あのわらし速ぇー!!」ってびっくりしていた。その日から高輝とはモトクロス仲間として付き合っている。今思い出すと高輝のお父さんは今もあの頃も豪快な口調で変わらないなー・・・その頃弟の孝高(現在HRCでヨーロッパWGP参戦中)は居なかったなぁー。 |
「小 宮内?」 高見俊次目撃!
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1989年(ジュニアクラス)全日本に参戦していて中盤戦になり開催地も東北、北海道方面へと北上している時期その年から北海道大会はルスツ高原から栗丘ライディングパークってところに変更になっていた。初めてのコースだし青森からだと船に乗って降りてからも近いということで全日本開催数週間前に練習にいった。そこでやたらと元気よく走ってた“小僧っこ“がいた。高見俊次だった!! その頃マウンテンライダースで走っていた北海道出身の宮内さん(現SRM監督)が事前走行に来ていた。その集団の中でチョコチョコしてKXに乗ってたんだけど 走るとやたら元気よくって、速くて、ジャンプをノミのごとくピョピョン飛んでいく!! しかも走るスタイルが宮内さんそっくりで俺らの中では「なんだ? あの小僧っこやたら速いしジャンプ、スゲーナって!! しかも宮内さんそっくりだから弟か? みたいな。」どうやら弟でもないみたいだったしシュンの名前なんかも知らなかったから かってに 「小 宮内」(こ みやうち)って呼んでいた。まさしく小さい宮内ってこと。また例のごとくこのコースには走った事ないセクション(トリプルジャンプ、フープス)がやたらとあって飛べなかった・・ 事前に来ていて良かったと思った。しかもトリプルチャレンジする時なんか‘小 宮内’の後ろ着いてってスピードとタイミング計って何回目かにやっと飛んだからねー・・・ その時はサンキューな!! シュン!! おかげでトリプル飛べるよーになったわ!! その数年後モトロマン、マウンテンライダースの合同合宿を大阪のライダーパークでやったとき初めて高見俊次って名前まで知った。そのまた数年後、シュンと益留しんたろう、小田切一剛が同期で全日本でステップアップしてくる。 |